石井則仁×鄭慶一 『Dance Camp Platform vol.4』

今回は、石井則仁が福岡で毎年行っている国際合宿型ダンスキャンプ、その名もダンスキャンププラットフォーム(Dance Camp Platform: DCP)について開催会場の枝光本町商店街アイアンシアター、ディレクター・鄭慶一(ちょん きょんいる)さんとの対談をお届けします。 
 

 
石井則仁(以下:い):それでは今年のDance Camp Platform(以下DCP) vol4に向けて、開催会場である枝光本町商店街アイアンシアターのディレクター鄭慶一(ちょん きょんいる)さんとお話しをして行こうと思います。 
 
鄭慶一(以下:ち):よろしくお願いします。 
 
い:今年でDCPがvol4、国内では4回目で過去には韓国でも開催しました。 早速ですが、今年のDCPどうですか? 
 
ち:楽しみですよね。 細かいことは後ほどお話しするとは思うんですが、濃いですよね、DCPは。全てが。
 
い:濃いよね。
 

初めてDCPのことを知る方に簡単に説明すると、海外からコレオグラファーなどのアーティストを招聘してショーイングに向けてクリエーションするんですが、一週間のクリエーションはもちろんご飯も寝るときも一緒に過ごす合宿企画です。

1日6時間クリエーションして夜も単発のワークショップがあったりするんですが、その後交流したりご飯も一緒に作ったりするんですよね。(2018年3月に開催されたDCP)
 

(2018年3月に開催されたDCP)
 

ち:そうですね。
 
い:おそらくここまで講師であるアーティストと一緒に過ごす合宿企画はなかなかないんじゃないかな。
 
ち:僕は毎年DCPが楽しみで、今からDCPに向けて心と体の準備をしてます。
 
い:準備ってなんのこと?
 
ち:まぁ、色々ですよね。
 
い・ち:笑
 
い:本当に楽しさもさることながら過酷さもありますもんね。
 
ち:僕今まで全て参加してるんですが、この企画の素晴らしさってなかなか言葉にしづらいなと思ってるんです。なので、この対談でそれを伝えられたらいいなと、参加してみたいと思ってる方の参考になればなと思ってるんです。
 
い:それぜひ喋ってください。
 
ち:DCPは7日間本当に濃い時間を過ごすんですが、何が一番素敵なのかなと振り返ってみると、得難い「体験」をできるって部分だと思うんです。僕たちは舞台上で非日常を観客に提供するんですが、この合宿がすでに非日常でその密度がとても濃い。
 

(2018年3月に開催されたDCP)
 

い:うん。
 
ち:クリエーションだけなら、同じような過酷さって他にもあると思うんです。
ですけど、生活も本当に一緒にいる。
 
い:うん。
 
ち:海外の講師なので言葉の壁でコミュニケーションの障害があったり。
 

そんな中でダンスに関してだけではない部分で自分が出来ることと出来ないことが全部出て来るんです。
これがまずめちゃくちゃいい体験だと思うんです。

 
い:確かに。
 

ち:それで、ダンサーってもちろんダンスのテクニックや知識も必要なんだけど、なんだかんだ人間力で色んな所や人と繋がっていく事って多いと思うんです。いいダンサーにはいい人多いと思うんです。

 
い:いい人多い!
 

ち:ダンスのテクニックだけで売れるって本当に一握りだと思うんです。
もちろんとっても大切だけど、今これだけ海外に門戸が開かれていたりする中で、それこそ寛容さであったりとか受け入れる力ってとても必要だと思うんです。
そういうものが共同生活で疑似体験できるんです。

 
い:はい。
 
ち:ただ受け入れるだけじゃなくて自分を通したい部分のさじ加減だったりがわかる。
これは先ほど言った過酷さで培われると思うんです。
この過酷さは共同生活に妥協がないって意味に置き換えられると思います。
 

(2018年3月に開催されたDCP)

 
い:うん。
 
ち:講師だけホテルに泊まってみたいなこともなく、本当にずっと一緒にいて、共同生活で生まれる障害をダンスを通したコミュニケーションで解消して、作品に向かって一つになる。
 
い:確かに。
 
ち:これが本当に素敵な事だと思いますし、他にない部分だと思います。
 

いわゆるコミュニケーション能力だったり寛容性を培うってことはダンスのスキルと並行して必要な部分だと思うんで、これはDCPでしか得られないと思います。

もちろんそれだけじゃなくて作品も素敵なものになりますし、スキルも身に付きます。
 
い:まさしくそうですよね。
準備はとっても大変だけど、始まってしまうとめちゃくちゃ楽しいですよね。
毎日飲んだりね。
 
ち:笑
 
い:ダンスの話だけではなく、講師陣とくだらない話や生きる考え方を共有したりと、人生豊かになるよね。
 

(2018年3月に開催されたDCP)

 
ち:そこが重要だと思うんです。
 

ダンサーとして生きていく上でスキルももちろん大事なんだけど、それは極端にいうとどこでもできる。
枝光みたいな片田舎に来て、畳の上で寝泊まりするって得難い経験だし、人間が豊かになるってのがダンスと付随してるってのは本当に素敵だと思う。

 
い:説明し難いけど、参加しないとほんと損するよね。
僕たちがあんまり言うのも変だけど。
 
ち:笑
それとこれは偶然だろうけど、参加者で妥協する人がいないですよね。
 
い:そうだね。
みんな芯があって、喧嘩したり運営に改善を求めたりと意識が高い。
生活から何から妥協しないよね。
決まったスケジュールはこなすもんね。
 

(2018年3月に開催されたDCP)

 
ち:しんどいって意見をあまり聞かないですよね。過酷なのに。
朝7:00に起きて9:00から12:00までクリエーションしてご飯食べて、また3、4時間クリエーションして、夜は各講師の単発のws2時間参加して、飲むんですよね。
なんやかや寝るのが3時4時。
 
い:笑
それ言って大丈夫かな笑
 
ち:いいんですよ。自由時間ですから、夜のwsのあとは自由時間だから。
 
い:まぁ、選べるからね。早めに寝たり、本読んだり。
 
ち:それとこれはちょっと変な話ですけど、地域に「幽閉」されるじゃないですか。
逃げ場がない。これもDCPの良さを手助けしてるのかも。
 
い:そうかもね。
今年の3月にも開催したんですが、毎年3月だったのを12月でやってみようってことで年末に開催するんですが、講師は変わらず韓国から「ON&OFF Dance Company 」のハン・チャンホさんとドユさん、そしてまだ日本に3、4回程度しか入って来ていない「サウンドペインティング」と言う携帯のアートスタイルのアルナウさんがスペインからいらっしゃいます。
 
ち:「ON&OFF Dance Company」のお二人に関してはダンスも抜群に素敵なんですが、まず教育者として素敵。
ダンス以外で学べることがえらい多い。
 
い:本当にえらい多いよね。
 

(2018年3月DCP「ON&OFF Dance Company 」のハン・チャンホさんとドユさん)

 
ち:人間ってこうあるべきだなってことを強要せず背中で見せてくれる。
二人のクリエーションに参加することでそれが得られるんです。
 
い:そうだね。
 
ち:そしてサウンドペインティングなんですが、講師のアルナウがコンダクターで指揮をするんですが、参加しているダンサー、俳優、音楽家やペインターにサインを出して動かすんです。
アルナウのハンドサインに合わせて動いているといつの間にかそれが作品になっている。
い:うん
 

(2018年3月DCP アルナウ・ミラさん)

 
ち:アルナウの作品に参加することによってアーティストとしての強度が来たわると思うんです。
自分たちが経験したことのない作品をクリエーションするのでストレスはあるんですが、そこで求められているのは自分たちが今まで培って来たもの。
サインを出されるんだけども、そこで最良のものを自分が培って来たスキルの中で選ばなきゃいけない。
自分自身を演出することになると思うんです。
なので、自分が持っているものを見直したり、この場での最良はなんなのかと言った俯瞰した視点を持てる。
結果どのジャンルのアーティストでも参加すると、自分の武器を新たに見つけたりそれを鍛えることができる。
 

 
い:サウンドペインティングは面白いよね。
技量も問われるし、表現力も問われるし、客観性も問われてきついんだけど、誰でも楽しめる。
 

ち:サウンドペインティングに参加することで直接演技やダンスのスキルが身につくわけではないけど、自分が持っているものをひねり出す作業になると思うんです。
なので、「最近演技わかんねぇな」とか「踊っててなんかしっくり来ない」とか悩んでいる人がいると思うんですが、そう言う方々が参加すると、自分にこう言う部分あったなとかこれ持ってたはと言った再発見をできると思うんです。

 
い:演劇でもビジュアルアーティストでも参加できるから、ぜひいろんな人に参加してもらいたいよね。
 
ち:絶対鍛えられるのでぜひ。
 
い:さて、そろそろインタビュー終わろうと思います。
 

DCP Vol4は12月23日の夜北九州の枝光本町商店街アイアンシアターで集合し29日までクリエーションします。
そして30日、ど年末ですが作品上演をします。

ぜひ、皆さんご興味あればご参加ください。
 
ち:ほんとにはちゃめちゃしんどいけどはちゃめちゃ楽しい一週間で後悔させないのでぜひ!
 
い:僕たちも覚悟決めて頑張りましょうね!
 
ち:はい!
 
詳細はこちら!!↓↓
http://deviate-co.com/DCP.html
国際的に活躍する振付家の作品に出演する方を募集します。
寝食を共にし、固有のボキャブラリーや創作に必要な考えやプロセスを参加者と共有していきながら作品を制作していきます。

クリエーション合宿参加者は全プログラム(単発ワークショップ5本)受講可能です。
“Creation 1” ”Creation 2” のいずれかをお選びください。 ※両方出ることはできません。
参加費には、クリエーションワーク・全ワークショップ参加費、 パフォーマンス参加費、食事代(夕飯のみ)、宿泊費(宿泊型のみ)が含まれます。
クリエーション参加者は最終日の公演に出演します。

宿泊型 ¥ 55,000 ・ 通い型 ¥ 52,000
期間 : 12/24 ~ 12/30 午前3時間+午後3時間=計6時間
公演日 : 12/30
合計参加可能人数 約20人
 


石井則仁×根本豪 対談 『舞踏』

対談連載ラストは舞踏そのものについて熱く濃く語っています! 
前回より続きの連載をお送りします。ー(前回より)あと舞踏に関していうと、舞踏は見るよりやったほうが面白いです。中身を共有できなければ面白くないし、ワークショップなどをやってどんどん共有したい。誰でもできるし、誰もができないのが舞踏かなと。体が動くダンサーでもできないことは多々あります、舞踏は。だからこそ面白い、技術ではないところが。どれだけ自分のファンタジーの世界に没頭できるかで、集中力の面白さなんですよ。ー
 
Suguru Nemoto(以下S):一度、舞踏ワークショップに参加したことがあります。思ったのが、野口体操が舞踏のベースにあるのかなと。
力を抜くことがベースにあって、実際に力を抜いて、体の一部にだけテンションをかける。

それが、すごい難しい。でも体の力を抜いた身体のほうが美しく見えるし、それが舞踏なんだなと思いました。

 

(ブルガリアで行った舞踏ワークショップ, 2017.5)

 
Norihito Ishiii(以下N):バレエは完全にポーズを決めないといけないけど、舞踏はなりゆきの体です。
脱力ということは、どこから発生しているかわからないけど、野口体操からだと思います。
カウントに沿って体を動かす体操ではなく、イメージから体を起こさせる。
例えば、自分の体の中に小さなボールがあって、それを皮膚から突き破ろうとして、こっちに移動してくるのを、イメージを持って動かす。
脱力は、僕の師匠の天児牛大さんの本『重力との対話』でも言ってますが、ダンスの語源はテンションなんです。
座っている、ペンを持っている、書いている、そこに対して何かを視ている、など全部がテンション。
いわゆる力を使っているということ。そういうことに使っていないと思っているだろうけど、使っているんですよ。目を動かすことも筋肉だし、重力に対して反発することがテンションだと僕は思っています。
で、ダンスはそこから始まっている。
 
山海塾も大駱駝艦もやるんですけど、完全脱力状態の寝ている時と同じ状態から、どうやって体を動かすか。小さい力で細かく体を動かしていく。20代前半でぼくが最初にいった舞踏ワークショップが大駱駝艦でした。
 

(ブルガリアで行った舞踏ワークショップ, 2017.5)

 
S:石井さんのワークショップで印象深いのが、花粉の歩行ですね。空間に花粉が充満しているイメージの中で歩いていくという、、、
 
N:花粉の歩行は、土方巽さんのお弟子さんのワークショップを受けた時にハマって、取り入れています。
どういうものかというと、周りの空気、見えない空気が全部花粉だったってとこからスタートします。一切の空気がなく、全部花粉、でも自分はその中を歩かなくてはいけない。
花粉を吸う、自分の肺の中が徐々にいっぱいになる、肺の膜を花粉が浸食していく、最後は自分が花粉となって飛んで行ってしまうという型。

振り付けは一切なくて、イメージからくる質感でやります。でも世界観は型としてあるんです。これが舞踏の面白いとこだなと思います。

 
S:型は土方巽が全てつくったんですか?
 
N:山海塾は山海塾の型、土方さんは土方さんの、それを継承している人もあれば変容している人もいますね。
どんなに体格が違おうが、絶対同じ角度でやるってのが山海塾ですけど、昔の土方さんのは精神性の型が一緒だったらタイミングがずれていても問題なかったみたいです。
それは、違っていても見れてしまう強度と引力が昔にはあったんでしょうね。
例えば、足の小指と薬指から蟻が10匹のぼっていって、耳の中に蟻が入っていったら、頭の中が、、、、そういう話でそれを同じ質感でやる。それが、土方さんの暗黒舞踏ですね。
土方さんはもともとモダンダンスの石井漠さんの門下生にいた人で、モダンダンスもやって舞踏にいき、結果的には舞台上で鶏を殺すまでにいたりました。
 
S:ビジュアルイメージ、花粉の歩行でいうと、花粉の中に溶けていくってほとんど物語だと思うんですけど、そういうイメージからの体の動かし方っていうのは西洋にはないんですか?
 
N:だいぶ変わってきたけど、元々はないですね。
西洋はもともとテクニック重視と外見のビジュアルで走る傾向があったし、最近はイスラエルで生まれたGAGAがあるけど、オハッドナハリンは日本大好きな人だし奥さんも日本人ですしね。
日本では本当に舞踏って知られてないんですけど、ヨーロッパでは本当に反響が多いんです。
3年前ぐらいにNYで山海塾が公演したときに、ワークショップも開催したら、白髪の70~80歳ぐらいのおばあちゃんがワークショップにきました。
 
S:無理のない動きだから、年配の方でもできるんでしょうね。
 
N:そうですね、寝相の延長とも言えますしね。
寝相は無意識に自分にたいして身体をほぐしたり、夢みる流れで体が変わっていくもので、舞踏はそれも重要視します。
例えば、ワークショップで脱力してくださいと言うと、たいていみんな仰向けになるんです。でも僕の後頭部って左右非対称だし、左右対称の人間はいなくて、確実に形が違う。
本当に脱力すると、こっちに倒れたり。寝相と同じなんですよね。
 
あと思い出したのが、僕が正式メンバーになる全然前の昔の話ですが、パリ市立劇場での山海塾公演では、客席をどかし裏道を通ってまで、寝たきりのおばあちゃんがベッドごと見に入ってきたそうです。病院の入院しているベッドごと運ばれて。
それを成せる山海塾もすごいし、それをOKするパリも劇場もすごいなと思います。
 
S:イエスの話みたいですね。
イエスが説教しているときに、どうしてもイエスの話が聞きたい寝たきりの人がいて、屋根をはがして上からいれた、という話が聖書には書いてあります。
 
N:それぐらいに山海塾の評価が高いってのもあるし、舞踏ってのが欧米のマインドから生まれなかったからなんでしょうね。
アメリカでは50年代以降、モダンダンスが生まれて、世界的に有名なカンパニーも生まれていますけど、手法は全然違います。幾何学的で計算されていて、幾何学的に変わって面白いというもので。
一昨年そこのカンパニーのダンサーを招聘して、一緒に企画をしたんですけど、同じ時代なのに全然真逆なものが生まれているという話をしました。
国が違うから文化が違うのも当たり前なんですけど、ダンスというものでいったら面白いよねという話になりました。
 
S:逆に西洋は、どっちかという理性主義というものが一時期流行って、それに対するアンチテーゼとして、スティーブジョブスが禅好きだったようにカウンターカルチャーとして日本文化やチベット仏教を西洋で取り入れたと思うんですよね。
日本に舞踏を学びに来る西洋の人もたくさんいるんですか?
 
N:たくさんいますね。
僕は舞踏でいうと第5.6世代なんですけど、3世代の人たちはみんな日本での活動が厳しいから海外に飛んで、ヨーロッパ、アメリカでずっとやってる方たちがいます。その中で、海外の人たちが弟子のような形でついたり、日本に来る人たちも。
 
S:ものにして帰って支店を開くというか、暖簾分けするほどなんですか?
 
N:暖簾分けするほどではないです。
変な話、プライドを持って認めたくないんですけど、海外から来た人が誰か大物の舞踏家のワークショップにいきました。で、たかが一回の1週間のワークショップにいって、私はこの人に師事してたと言う外国人も多いんです。たかが数回いっただけで、何を師事したんだとと言いたい。

舞踏ダンサーと名乗るそういう人はたくさんいますけど、それで舞踏が生き残るのはいいんですが、何を継承していくのかというのが僕としては課題です。

 
S:西洋のダンスの体の動かし方を見てると、関節が少ない気がします。体の割り方が大雑把とゆうか。日本人の方が体や関節を細かく見ている気がします。
 
N:マーシャルアーツと武道の違いだと僕は思います。踊りに関しても西洋は関節はこことこことここしかない。けれど空手や古武術とか武道、関節はもっとあって、いっぱい使うんですよね。

日本のダンスも同じで、例えば、僕の長所が背中なんです。背中の動き方が全然違うんですが、人間ってこんなに背中が動くの?とよく言われます。
これはどれだけ体を動かせるかっていうテクニックですが、バレエのラインがきれい、ターン、テクニックなどの西洋的な美学とはちょっと違います。

 

(がらんどうの庭2018, photo by Kouichi Maruyama)

 
S:体の動かし方の美しさが違うんですね。西洋のダンサーがやろうとしてもなかなかできないんですかね?
 
N:イメージと考えを持ってできるのが人間だけど、西洋人だろうが日本人だろうが、スタートはかなりのギャップがあると思います。
昔からの文化の違いや概念、日常にもってくる想像の仕方も違いますしね。
 
S:抽象的な話だけど、身体は他者だと思ってて。体を自由に動かしたいと思うけど、体って思うように動かない。
やっぱり芸術も音楽も、でてきたイメージと形にした時の違いがある。自分がほしい質感じゃなかったり、アウトプットとしてでてきたものは自分からでているようでまた異物だったりする。それが面白いと思います。
日本の舞踏の動きは、西洋に比べてもう少し細かい分け方をして、身体におりてくる感覚が違うというか。
 

N:バレエて完全に型があるんですよね。ポーズをぴしっと決めるけど、舞踏は完全なるSFでファンタジーなんですよ。

歩くイメージがなんなのかっていったら、上に皮膜があって、ナイフでそれが切られていって、上の水がぽたぽた落ちてくる、ていうイメージが完璧にある。

そこから作品の世界や集中度が生まれて、それに対してのイメージ力がどれだけリアルかが重要です。

 
S:舞踏って練習するとき、鏡をみるんですか?
 
N:見ないですね。
 

 
S:バレエは鏡を見て、体がどう動いているかチェックするけど、舞踏はそれよりもイメージの強さのほうが重視されている。

皮膜を実際に切れているのかどうかが大事であって、決められた動きを実際できているのかどうかよりもイメージのほうが重要なんだなとつくづく思いました。
師匠の天児さんに振り付けを教えてもらう時は、どうやって指導されるんですか?
 
N:舞踏は、もともと伝統芸能と同じように型になっているので、ダチョウの卵をもった卵の手、闇の手(柔道のえりをつかむような)、獣の手、鍵の手、棒の手、何十光年も遠い星を指す星指しの手、優しい手と全部決まっているんですよ。
決まっている言葉を羅列することで振り付けになっているので、『はい、ここで闇の手〜』という感じで指導されます。
天児さんが短く踊ってくれるときもあるけど、だいたい言葉で稽古できちゃいますね。
 

 
S:周りをみて合わせる時は、何をみて合わせるんですか?
 
N:音取りもあるけど、吐息でのかけだしで合わせます。
振り付けは手の角度から1ミリ単位で120%合わせて、全員自分の身体性で合わせます。
作品によっては、60代半ばの人とデュオでやらなきゃいけないシーンがあるんですけど、
身長も違うのに必ず合わせないといけないんです。
山海塾は即興がないので、歩くだけでも何分で歩くのか決まっているシーンもあって、稽古で測って体感でやります。型と振り付けには自由がないです。ないからこそアイデンティティが見えてくるんだと思います。
 
S:石井さん個人では、即興でどのぐらいの時間踊ってられるんですか?
 
N:即興で集中を継続して見られる時間てのが、最大で40−45分なんですね。
 
S:最初から最後までイメージをもっているんですか?漠然とかきっちりなのか、やりながら起承転結を決めているんですか?
 
N:観客の空気を読みながら、計算して起承転結を考えています。

表現者たるもの、自分が表現する世界に没頭することは確実に必要で、それを冷静に俯瞰しないといけない。たかが10分でも1分で飽きるものは飽きます。

それをどうやって飽きさせないか。無音だったら、激しい動きはやらないっていうことを選択したり、小さい動きが見えるようにする。
お客さんが小さい動きが見えるかどうかは、座禅と同じようなことで集中力でわかると思います。そこに対して集中していると、ちょっと動いたことが視覚や聴覚で聞こえる。そんだけ方向性と距離が縮まって、集中できる即興ができること。
空気の交流だと思うので、やれたもん勝ちですね。
 

 

自分のプライドとしては、会議室だろうがどこだろうがどこでやっても魅了させる、どこにいっても全員の心臓にナイフさしてやるっていうのがモットーです。

 


石井則仁×根本豪 対談 『ダンスの市場化』

対談連載2回目、前回より続きの連載をお送りします。 
 
Suguru Nemoto(以下S):ダンスって、芸術の中でも変わった位置にありますよね。絵画とかは江戸幕府なんかを考えるとお殿様のお抱えのものだったけど、
身体表現って元々俗のものというイメージがある。  
 
Norihito Ishii(以下N):能や歌舞伎も元々は俗のものでしたよね。
そこらへんの河原で踊るようなものが能であって。世阿弥とかお殿様のお抱えであるけど、元々はそうではない。バレエもそうだし。  
 
S:絵師とかだったら、王様だけが見ればいいという考えがあったけど、身体表現は観客がいないとある意味成り立たない。そういう大きな違いはありますよね。 
写真や絵画みたいにお金と交換できないから、何が出てくるかわからないという交換不可能性がある。 自分は何とお金を交換したのかしばらくわからないっていうのが舞台芸術なのかと思うんですよね。
時間を割り当てるから、舞台も映画もはずれにあたるのが嫌で選択肢を限らせてしまい、見に来る人が少なくて広がりにくいんだろうなと。  
 
N:交換をできるかできないかではなく、芸術に対して交換するということは意図してできるものではないと思います。 
芸術を見ることに関して、頭で考えて計算して持って帰ることはできるかもしれないけど、頭で考えたものはそれ以上いかないと思うんです。

(2018.7 がらんどうの庭 Photo by Teiji Takizawa)

 
S:でも思うのは、必ずしもお金を払ったからといって、身体的で直感的な快楽が得られるわけじゃないですか。そういう点でやはり評価しにくいというか。 
 
N:うーん….. 舞踏が生まれた時代、前衛芸術と言われていた時代はアーティストが客観性を考えずに表現していい時代であった。
けど、今の時代はそうじゃない。 その時に心が動いた人たちは、その延長線上でまだまだ芸術や音楽を見てはいるんですけど、でも、なぜ渋谷のど真ん中で歩いている人たちがそこに足を運ばないのか? 
 
それをどうしたらできるのか?が課題で、一つ答えは自分なりにあって。 
 
地道にやらなきゃいけないことなんですが、僕が行き着いた答えは、ビジネスマインドでいうと100円の水を買う時にみんな水道水も飲むけど、ペットボトルの水も買うじゃないですか。 
これがなんでダンスでできないか? 
そりゃ値段は違う。でもみんなはその販売されている水の安全性を信じているから、知っているから水を買う。 
だからといって舞台芸術を信じろとは言えないし、信じろが的確な言葉じゃないけど、やっぱりそうやって心を動かす、そこに信頼を置かせるということなんだなと。  
 
マーケティングの考えで、値段の1.2~1,3倍の何かを返すとロールをするといいのが考え方があるんです。ロールするというのは、リピーターがでるということ。 
そしてまた、マーケティングには極意があって、たくさんの人がたくさんハッピーになると後からたくさんお金がついてくる。 

僕からすると、来るまでの時間と交通費、チケット代、帰るまでの時間と交通費、見ている時間、これらに対してハッピーになることが提供できたら、ロールすると思うんです。 

で、このハッピーで主たるものがエンターティメント。エンタメで1番わかりやすいのはディズニーランド。華やか、ダンスと歌と音楽があって、みんながキャーキャー言って幸せになる。 
僕はエンタメが嫌いな時期もあったけど、エンタメはエンタメでやるべきことがあると思いますし、今はまだまだエンタメ好きの時代だし、人の心が動いて人が幸せになるならいい。  

でも、僕はアートでやりたい、じゃあアートで何ができるか。 そうすると、アートの仕事ってなんですか?ということになります。 
僕は、???をちゃんと与えること思います。

つまんなくて背もたれによりかかることではなく、わかんないけどずっと見てしまった、これってなんだろ?、なんて言っていいかわからないけどよかった、と心が動くこと。  
??を持って家に帰って考える、誰かと話して答えを探す、人生や未来に新しいエッセンスを与えることだと思う。  
 

(2018.6 北海道舞踏フェスティバル Photo by Yuki Sakurai)

 
舞台芸術や舞踏を見る時も、お客さんはどういう内容をやっているかわからないと思うし、でもそれをシェアしたら、みんなが舞踏に興味を持ってもらえると思うので、トークイベントをしたりこうやって対談したりします。  
わからないものはシェアをしたら巻き込めるし、これがロールしたら、みんながハッピーになりますしね。 
どうやって芸術の楽しさを知ってもらって、足を運んでもらうか。これを大多数のアーティストがもう少し考えてたら、アートの価値がもう少し認められていると思います。 
 
S:舞台芸術のアフタートークは、非常に好きな場合とそうでない場合もあるけど、この人たち何考えてやってたんだろというのを聞くのは面白いですね。  

舞台で一面的に出されると、どうやって記憶にとどめようと思いますけど、多少言語を介されると頭に残る。言葉で共有するのは非常にいいと思います。 

そしてその中で、いかにたくさんの人に問いを持って帰ってもらう、エッセンスを与える観客の母数を増やすことが大事ですよね。
 

N:そうですね。作品によって、好き好みって絶対的に別れるとは思うんですが、それを凌駕するエネルギーがあると僕は信じています。

それをつねに作品で提示をしたい。  
あまりにも僕より上の人たちが好き勝手やりすぎたと思うし、いやでも…やったからよかったのかなあ…やりすぎてはいないのかな….。 
 
S:土方巽が舞台上で鶏を殺したというやつですか? 
 
N:鶏を殺して、賛否両論あったほうが面白いですよね。今では捕まるけど、それぐらいやれる時代で環境の方が面白いとは思う。  
 
S:10年以上踊り続けて、表現の制約を感じることはありますか? 
 
N:制約は感じます。 今、新作をつくって鶏をもってきて殺せるかっていったらできないし、公演をする上での資金の部分もあります。
助成金を得てうまくやるか、赤字覚悟でやるか、演者にノルマを持たせるか。 劇場の規模とチケット代がとんとんになるなんて絶対的にないですからね。 
だからといって、芸術の料金をあげるかといったらチケット料金をあげるのは悪いことではないと思うし、何億という絵があるように何億という公演チケットがあってもいい。 けど実際にはできないし、観客も来ません。  

時代がかわってきたので、一昨年ぐらいから日本でも舞踏フェスが生まれてきているし、 オペラとバレエしかやらなかった新国立劇場に去年の11月初めて舞踏公演をやったんですが、その一発目を山海塾が担いました。 

まだまだ今は変わり始めなので、継続している大手の舞踏カンパニーは山海塾と大駱駝艦と2つしかないし、舞踏公演をやるとなってもアンテナをはってないと情報を得られない環境ですけどね。  
 
S:芸術って個人の共有できないパラダイム、美しさを提示するというか。 他人と共有できない価値や美しさにあえて客観性をつけて、ビジネスとして値段をつけていく。  
 

(2018.7 がらんどうの庭 Photo by Teiji Takizawa)

 
N:客観できないことは絶対的にないものだと思っていて、弱冠の色の違いはあるかもしれないけど、こっちが赤って言ってるのに青と受け取られるのはあるけど、赤っていってるのが朱色と受け取られることもあるかもしれないけど、一概に絶対と言えないのが芸術であると思います。 
アーティストたるもの、作りたいものはビジネスじゃないものかもしれないし、客観性が100%になってもいけないとも思います。割合として50:50。 
ある意味独裁者でなければいけないし、客観性を持ってビジネスとしてロールすることも考えなきゃいけない。じゃないと、金をつくっていけない。  
 
S:共有、客観性、対話可能な領域をもたないとお金にはならないですよね。
 

N:自分のやりたいことしかやってないアーティストも対話領域をつくって、お客さんと話して、自分の哲学、思想を共有すればいいんですよね。
思考をお客さんが1%でも理解したらロールすると思う。 

 

(2018.7 がらんどうの庭アフタートーク Photo by Teiji Takizawa)

 
腹を割って話したらいいんですよ。なにそれどういうこと、また見に行こうかなとなるかもしれない。  
あと舞踏に関していうと、舞踏は見るよりやったほうが面白いです。 
中身を共有できなければ面白くないし、ワークショップなどをやってどんどん共有したい。 誰でもできるし、誰もができないのが舞踏かなと。
体が動くダンサーでもできないことは多々あります、舞踏は。だからこそ面白い、技術ではないところが。 
 
どれだけ自分のファンタジーの世界に没頭できるかで、集中力の面白さなんですよ。 
 
次号、ラスト! 舞踏そのものについて熱く語ります!
 


石井則仁×根本豪 対談 『アートの市場化 No.1』

Vol.5からはユダヤ学者、根本豪さんとの対談を連載でお送りします。
2人の出会いは、石井が数年前にコンテンポラリーダンスが盛んなイスラエルでのダンスフェスティバルに招聘された時です。

日本や海外で、舞踏・芸術の社会的な位置付け、アートの商業化、日本で活動すること、具体的な海外や日本での試みや具体例を紹介していきます。

 

 

Suguru Nemoto (以下S):僕はユダヤの研究をしていてイスラエルにも住んでいたんですが、イスラエルという国はダンスが盛んで、わかりやすく自国の文化を見せるのにダンスや芸術を使っているんです。

日本人のアーティストもたくさん招聘していて、その中で石井さんに会いました。 
日本社会の中で石井さんは、ダンサーを含むアーティスト(芸術家)が芸術だけで生活をできるための方法論を模索し実行し続けているという印象があります。 

語り得ぬものを表現する芸術、日本の伝統の系譜上にある舞踏、そして消費者としての鑑賞者。

芸術の意味と価値との間に、新たな可能性を求めてると僕は石井さんに思うんですよね。だから対談をしたかった。  
 
Norihito Ishii (以下N) :僕は趣味が転じてこういう生き方になったけど、ダンス、演劇という生ものの芸術、残る事がない芸術は日本社会では特に過小評価されています。写真や絵画は物質としてあるので、わかりやすく値段をつけれます。

そんな厳しい環境の中でも面白いことをしたいし、舞踏という日本発祥であるのに自国ではマイナーなものを知ってほしい。そのために考えていることや舞踏のことを共有したいし、繋がりを作っていきたい。

だから対談やトークイベントもしたいと思っています。
 
S:6月初頭に世田谷パブリックシアターで公演していた『金柑少年』と『卵熱』も見に行きました。リ・クリエイションだった為、主宰の天児牛大さんは出演せず、元々天児さんが踊られていたソロパートを石井さんが踊っているのを見て、新しく舞踏の精神を担っていく立場なんだなと思いました。
 

Photo “UNETSU© Sankai Juku”

 
N:今年で山海塾に入って8年目になりました。
舞踏は、1960年前後に生まれ、昔は暗黒舞踏という言い方でしたが、1番最初に作られた舞踏とは今では色が違うんですね。師匠の天児牛大さんは現在69歳ですが、ご自分で海外のフェスティバルなんかでは第2世代といってます。
『金柑少年』は1978年が初演です。ここ数年の山海塾作品とは色が違って濃ゆいし、全世界で公演をし大絶賛されています。
見に行った方はご存知かと思いますが、生の孔雀が出ます。昔から、舞踏は動物を公演に使っていて、土方巽は舞台上で鶏を殺すことまでやっていました。60−70年代のアングラ時代と呼ばれてた時代だったからこそで、現代とは道徳観も違うし、そういうのがまだ大丈夫だったんですよね。
ここ数年はモラルも変わってそうもいかない。自分の作品をつくるときも考えます。
 

 
Photo Yoichiro Yoshida 山海塾公演『金柑少年』
 

S:孔雀、おとなしくしてましたよね。
 
N:おとなしくさせているのか分からないですけど、アドリブしかないです。動物なので。
山海塾が孔雀を飼っているわけではないので、劇場側の手配で毎回来る孔雀も違いますし、孔雀を持つソリストは本番しか孔雀をかかえられないんです。
過去に背中でバサバサと羽を広げた孔雀もいるし、バサバサといかなくゴテっと落ちた孔雀もいます。ソリストが孔雀と踊った後、孔雀は舞台上で放し飼いなので、舞台上に孔雀の糞があるのに躍り手は向こうに行かなければいけないということも。
だいぶ昔のアメリカ公演では、劇場の前で動物保護を訴えるデモも起きたみたいです。
 
S:山海塾は日本よりもヨーロッパを中心とした海外で評価されていますよね。海外でやった時に現地の人のリアクションを聞いたりしますか?
 
N:どこへいっても、スタンディングオベーションを感謝するぐらいいただきますね。こんなに立ってくれるの?とびっくりするぐらい。
それはやっぱり、山海塾のような作品性ってのはヨーロッパで生まれることってあんまりないんですよね。神秘的ていうコメントもあります。神秘的のものが何なのかと聞かれたら僕は宗教性だと思っています。
キリストとか哲学思想を元にそれをうまく使っている作品もヨーロッパにはあります。

けど、山海塾の神秘的てちょっと特殊じゃないですか。それはヨーロッパの人たちの作品には内臓していない、とゆうのが僕の見解ですね。

すごく表面的にわかりやすくいえば座禅とかと同じですよね。京都の寺を観に行くようなもので。
踊り手がスキンヘッドで白塗りだから人間に見えないというのもありますしね。
 
S:山海塾の舞踏手ってそこまでムキムキマッチョじゃないですよね。西洋的なダンサーと違う。
 
N:僕は当初テクニックを駆使して踊ってきた人間なんですけど、筋トレをするのと踊る筋肉とは違うんですよね。
山海塾はマッチョだからいいってことでもなく、ブヨブヨだからいいってわけでもない。
何がいいってないんですけど、日本人・和物の身体性に合ってできたものが舞踏ですからね。すり足が基本ですし。
 
S:僕は研究をやっていますが、面白いのはフィールドワークの研究をしている時に、あるコミュニティのところに研究者が行って、あなたたちのカルチャーはこれですこれですって研究結果を提示しますよね。
そうすると彼らはそれが自分たちだと思って、逆に研究結果を反映しちゃうみたいなことが起こるんです。つまり向こうの求めている日本人性みたいなものが反射しちゃって、出てきてしまう。
もともと日本って海外からすると芸者と歌舞伎みたいになってて、けど日本の文化の一部でしかない。でも代名詞のように言われてる。
それは戦前から日本政府が日本は歌舞伎や茶の湯だけじゃなく、別の日本流のカルチャーを海外で輸出しようとやってたりしている。それで、合わせ鏡、反射してきてしまう日本人性、カルチャーとしてあっちに発信するものがある。

日本で生まれた舞踏が海外でうけるという、矛盾を感じるんですよね。山海塾の神秘性や精神もそれがあるんじゃないかと。

 

Photo Yoichiro Yoshida 山海塾公演『金柑少年』

 
N:山海塾に関しては分からないですね。
山海塾が1作品でぱーんと売れてから、金柑少年でまた売れて、、、それからずっと契約をして、徐々に作品の色も変わってきてるしトップの天児さんの年と経験によって変わってくることや周りから言われることもあるだろうし。

僕としては、自分の本質だけを貫いて活動ができなければ、僕は嫌です。けど、言われてリフレクションされることもあるかもしれないし、でもそれをうまく使うこともビジネスだと思う。

 
S:そもそも石井さんはなぜ日本で活動するんですか?山海塾もヨーロッパ公演が多いし、舞踏も評価されているし、環境としては海外の方が活動しやすいと思います。
イスラエルに渡航する人を何人も見てきたけど、そのまま定住する人も多いし、北欧やベルギー、ドイツで活躍している日本人ダンサーも多いですよね。
 
N:山海塾でもいろんな国に行って、個人でも何箇所か行って、国のアートや文化に対する制作はやっぱり違う。でも、海外で活動したいとは思わないです。

僕は日本でやりたい、どうしたら日本で芸術で生きていけるか。

 
S:アーティストとマネジメントはそもそもセットでなきゃいけないのに、日本はバラバラになっていますよね。アートマネジメントはアートマネジメントで特定の機関がやっているので、なかなか若手や特定のアーティスト以外選ばれない。
この前日本人のアンビエントの音楽家から聞いたのですが、その方はちゃんとアメリカで有名なアンビエントの音楽家とつながって、レビューを書いてもらって、そういうやり方でちゃんと集客もあるんです。日本では名前が有名でもないけど、このアメリカ人の有名な音楽家が勧めるから200人ぐらいくるって言ってて、ジョイントの仕方がうまいな〜と思いました。

海外のアートは、マネジメントも勉強するようになってるけど、日本はそういうのを聞かない。

 
N: 4、5年前かな。自身の作品で、韓国で賞を頂いた時にイスラエルに招聘される賞をいただいたんですね。それはデュオ作品だったんですけど、航空券1人15万円はかかるので、助成金をとるために助成機関で働いてた方に制作に入ってもらいました。
当時、僕はまだマネジメントや制作ノウハウが全くなかったので、色々教えてもらったんですが、日本でもちゃんとしたアートマネジメントができる人はいないと言ってましたね。
芸大にしろ絵の描き方は教えても、お金の作り方を教えないのと一緒で、本当に芸術家のマネジメントができる人は日本でそんなにいないとおっしゃってました。
 
S:アートで助成金をとるって難しいですよね。
研究者の世界でも、事業仕分けで研究者にお金がこなくなっちゃったんです。でもそれはある意味よくて、自分たちのやっていることを周りの人に説明しなきゃいけないという必要性がある。今まで理系の人たちも研究費をもらってたけど、自分のやっている研究の意義を考えなくてもお金もらえてたのが、説明して提示して理解してもらわなきゃいけなくなったんですね。だから、助成金の申請をするのに書き方のコツとかもあるのですが。

でも、アートって映像を見てもらえないじゃないですか。文章と業績だけで資金をもらうって、アートの価値と離れているなと。

 
N:僕が個人の活動で東京で助成金を得ようとすると、山海塾と肩を並べて申請しなきゃいけないんです。そんなの無理なんです、絶対的に。
今までは憤慨をしてたけど、お金を出す側の思考を考えたら、何十万〜何百万だったらもう信頼関係ですよね。山海塾だって何十年活動し続けてきての信頼関係があるから、これはもうしょうがない。お金出すの当たり前です。
そこらへんの若ぞうを信頼しないじゃないですか。
 

 

だから信頼を勝ち取っていかなければいけない。落ちても毎年提出しなくてはいけないというのは気付きましたね。そうじゃなければ、毎年落ちているけど、まだまだ活動しているんだというところから信頼が生まれてお金をだすと人間はなると思うんです。

プレゼン方法がうまくいけば信頼も勝ち取れると思うから、その辺もクレバーじゃないとダメですよね。
特に舞台芸術の助成機関の上司ってのはアートなんてわかっていない人たちを相手にするつもりでやらなきゃいけないと思っています。

アートがやるべきことと同レベルだと思うけど、どうやったらその辺の人たちに自分の企画が面白いかをプレゼンできるか。そこらへんの歩いているサラリーマンに声をかけて、プレゼンがうまくいけば100円でもくれるかもしれない。それと同じだと思います。1円もらうのと30万円もらうのは一緒。

 
S:企業目線になると、プロモーションとして企業もやるわけじゃないですか。波風たたない芸術の方がいいでしょうね。
 
N:情熱だけでは通用しないですよね。頭で考えて、どの言葉つかって、その言葉で羅列をして、文章化して、どのタイミングでプレゼンするか。
対組織、個人ではやり方が変わるし、どう精査していくかはやりがいがあるけど難しい。
 
S:実際今まで石井さんがやってる組織 DEVIATE.COをやり続けていて、事業をやっていくことで、だんだん業績が積み重なっているわけですよね。業績積まないとお金は出ないので、続いているのはいいことですよね。
 
N:個人の活動とDEVIATE.COは全く別にしているんです。経理上も全部別ですね。DEVIATE.COはアーティスティックディレクター、プロデューサーとしてやっています。
企画も縮小して、より精査していますね。事業としては、幸い今まで赤字にしたことはないです。
舞踏家、ダンサー、プロデューサーとして生き抜くために、僕はビジネスやマーケティングの本も読んでますけど、

特にデザインの本を読んだんです。企画したものの映像編集やチラシデザインからやっていたのもあるけど、全てにおいてどうやってやったら、人に影響を与えられるか、影響を与えるための最適な環境/空間を作れるのかを考え始めてデザインを勉強し始めました。

デザインはアートであるかと言ったら、アートでもあるし、そうでもない。けど1番クリエイティビティや芸術性とビジネスがうまく重なっている。

2面性のデザインだけではなく、空間をどうデザインするか、人の流れをどうデザインするか、環境デザインをどうデザインするか、それがデザインだと僕は思っていて。
人の心が動くことを踊りでやりたい。そのための活動方法として、自分のアーティストの芯だけではなく、生きていくためのビジネスとしてデザインを取り組むようにしてきました。

 
続く….
 
edit by Chikaru Yoshioka


『即興パフォーマンスの意味する事とその目的』

 
vol.4は数年前より 石井則仁が運営しているダンスプロダクションカンパニーDEVIATE.COの企画のひとつ「有徴あるいは無徴」という名の即興パフォーマンス企画について詳しく迫ります。
石井が考える即興パフォーマンスの意義や持つ意味、その目的についてインタビュー形式で語っていきます。
 
Q:まず「有徴あるいは無徴」という企画、過去も何回か開催されていて、今年も 8/10(金)に開催予定ですが、どういう企画なのでしょうか?
 
Norihito Ishii(以下N):はい。まず、打合せ・顔合せ・リハーサル、一切無しで始まる完全即興公演になります。ダンサーや役者 6名と2名の音楽家の即興セッションで、45分のパフォーマンスを1日2本公演します。
応募条件もあり、ダンスや演劇などの表現者、身体表現を3年以上やっている方、自身の表現で尻拭いができる方またはその気合がある方、プロを目指す方で個人参加のみになっています。
そして、チケットノルマもあります。3000円×10枚(事前振込)で、11枚目以降、一人集客に付き2000円還元しています。
 
Q:チケットノルマもあるんですね。そもそも企画タイトルの「有徴あるいは無徴」とは、どういう意味を持っているのでしょう?
 
N:まず元々の意味。『日本語では、「茶」といえば緑茶のことで、 紅茶を「茶」と省略することはできません。 一方、英語では「tea」といえば紅茶のことで、 「green tea」を「tea」と省略することはできません。 ここで、「茶」「tea」を「無徴」、「紅茶」「green tea」を 「有徴」といいます。つまり、「紅茶」「green tea」は、 「茶」「tea」にくらべて“徴(しるし)”を余分に持ってるわけです。』
僕としては、何をメインとして何をサブとするかは好き好みの話で、即興は特に見る人の好き好みに別れます。
あの瞬間は音楽がよかった、いやあの瞬間はダンスだけがよかった、あそこはダラけてダメだった、ここは協調生と独自性が出ていた、あのダンサーだけがいい動きをしていた、、などなど。
アート作品全体に言える事でもありますけど、全て受け取り型の自由で、何をメインとして何をサブとして言えるか。そして即興そのものを観客が楽しんでほしいという意味を込めてつけています。
 
Q:なるほど。即興と分かって見ると、作り込まれた作品よりも、観客も踊り手の意図をかなり真剣に受け止めて、考える事も多くなりそうですね。あの人はあそこでこれをするのか、とか、なんであそこでこれを打ち出したんだろう、次は何をしでかしてくるか、、、とか。
でもなぜ、あえて即興公演をするのですか?
 
N:僕が考えるに、表現者として必要なことは5つあります。

独裁力、協調力、発想力、瞬発力、そしてデザイン力です。

即興というのは、作り込まれた作品よりも、個々の実力が浮き彫りになります。
最近は、即興の企画が少ないからこそ、即興で観客を魅了できる表現者も少ないです。最初からつくられた作品だろうが何だろうが、人を魅了する表現者には以上の5つが必要だと思っています。
その技術がない=技術がないってことではないんですが、極めてモブキャラクター(群衆)になると思っていますね。その出演者にならないためにも、前述した5つの要素が必要です。
そして、それらを鍛えるには、即興をやるのが1番。即興で本番をやること。
お客さんの時間とお金をもらって、魅せなきゃいけないというタスク。好き勝手やるのではなく、

責任をもった表現をやるには、本当に即興が早い。自分のための即興ではなく、お客さんのための即興です。

 
Q:なるほど、かなり鍛えられそうですね。そのために、チケットノルマもあるのですか?
 

N:そうです。人前で踊るという責任を負うのに、1番わかりやすい方法だと思うからです。

この道で生きていくなら、ちょっと告知するだけで自分のお客さんが集まってくるぐらいの魅力を持っていないといけません。お客さんが見たいと思ってくれてるカリスマ性を持っていること。
それにプロとして生きるなら、集客できなきゃプロとは言えません。そのためのタスクを貸しただけです。
 
Q:集客力をもって初めて、見せれる踊り手ということですね。全てにおいて鍛えられますね。
でも中には、即興はただ出演者が楽しんでいるだけの印象を受けるのでわざわざ見に行く気がしないという意見もありますし、実際観客として見に行っても面白くない即興が多いです。それについては、どう思いますか?
 
N:それは時代の変化がそうさせたと思います。
今までの時代では即興が許されていました。どういうことかと言うと、45〜60歳にあたる人たち、演劇のアングラ時代に活動してきた人たちが前衛芸術としてやっていて、それが新しかったんです。ダンスにアングラ時代という言い方はなくて、モダンという言い方になりますけど。
即興をやってた時代が多いのが数十年前で、その延長線上で現在も即興をやっています。
けれど時代は変わっていて前衛芸術でも何でもない。

見る側の意識は変わっているけど、演者側の意識が変わっていないので、観客が見ても楽しくない自分だけの即興をする人が多いと思います。
観客に何かを持って帰ってもらうという演者側の意識が少なすぎるんですね。

 

 
Q:なるほど。時代の流れを見て、表現しているアーティストが少ないということですね。
 
N:今のアーティストは時代を見たほうがいいってことですね。

先見の目を。

まだまだアートそのもの自体がビジネスになっていないから、見たほうがいいと思います。
アートっていうものは、作者が俺はこれだ!って本気のもので勝負するものであると思いますが、時代は変わりますし、名を馳せてるアーティストは客観性をちゃんと持ち合わせています。
時代に対して反骨するものでもありますし、現在の普通と言われる価値観を変えるもの、エッセンスを加えるものでもある。僕はビジネスとしてもやっていきたいから、両方を持ちながら活動し続けています。

芸術というのはある意味、わからない/理解しきれない刺激を観客の脳と心臓に与えるものだと思っています。舞台芸術という生身の表現というもの自体、時代を超えても常にそうあり続けてほしいと、僕は思います。

 
『即興』と一口に言われるものに対しての、石井則仁持論をお送りしました!
これを読むと、踊り手も見る側も即興の印象が変わってきますね。
 
出演者としての応募方法は以下になります!↓
 
⬜︎出演者名・性別・年齢・住所・携帯電話番号・ E-mailアドレス・応募動機・プロフィール・写真を明記の上、応募連絡先までご連絡下さい。
尚、件名には「有徴あるいは無徴出演者応募」と記載してください。
 
⬛︎締め切り
2018年7月10日(火)必着
 
⬛︎応募先
E-mail : co.deviate@gmail.com
(件名に有徴と記入の上、ご連絡ください) 
 
⬛︎会場
妙善寺
〒106-0031 東京都港区西麻布3-2-13
03-3470-0070
地下鉄日比谷線、大江戸線六本木駅下車徒歩8分
 
 ⬛︎主催 DEVIATE.CO
http://deviate-co.com/index.html
開催日は8/10(金)!お待ちしてまーす!!
 
interview & edit by Chikaru Yoshioka


Interview vol.3 『断捨離・余白』編

 
vol.3は連載インタビューのラストです。 
石井則仁、『断捨離・余白』編。 
そして、2018年になって仕事のやり方が変化してきたこと、これからの活動の仕方などをお送りします。 
 
ー(前回より)いいと思った物は持ち続け、不必要になった技術やテクニック、感性は捨てていく。例え、ここまでやってきたからなと思う物でももう一回捨ててみる。持ちたければ、また持てばいい。その繰り返しだと思います。ー 
 
Norihito Ishii(以下N):僕は、去年からよく断捨離をしているんですが、世の中の風潮がそうなのかなと思います。 戦後から物を持っているほうが豊かだと言われていたけど、それは終わり。 断捨離によって物から事、関係性も捨てて、

自分自身の活動もミニマルにストロングにシフトしていきたいと思っています。 

 
Q:確かに、石井さんのSNSを見ると事あるごとに断捨離、断捨離言ってますね。笑 
 
N:断捨離大好きです。笑  断捨離をすることで、余白もつくりますからね。 余白を自分の生活と心に入れることで、第6感の創造力を促すこともできます。生活でもアーティストとしても、つねに風通しが良くしていきたいですし。 
余白をつくることと、余白の美が超好きです。もう大好きです。笑 
 
Q : 舞踏家として考える余白の美学について、もう少し聞きたいです。 
 
N:はい。情報化社会なので、ダンスでも余白をつくっていきたいと思っています。 テクニック重視のダンスなんかは、足や腕を振り回してばんばん踊っています。感想としても、ラインが綺麗だねで終わってしまう。 
僕は、いわゆるそういう西洋のストリートダンスから初めて、日本人特有の舞踏にいきついたんです。前回も話しましたが、バレエをやってた時期もあったけど、僕の身体的に合わない。  
僕は猫背だし、なで肩だし、胴長短足だし、それでバレエやるってのは身体的にはもう、、足あげてもひょいひょいとしか上がらないんですよ。  
そうなったときに、和物の身体、そういう踊り、舞踏というものをやったほうがいいと思いました。 舞踏は能や狂言のすり足とはまた違うんですが、山海塾も大駱駝艦もすり足が基本です。 
最近は、文楽や神楽・伝統芸能を見に行ったり調べたりもしています。能、狂言なんかは、余白しかないし、余白の美学が日本の美学で、古代の美学なんですね。 
舞踏は伝統芸能と同じように、手の形とか全て決まっていて型になっています。そういうところでなにを見せるか。空間をつくる、余白をつくる、あまりをつくる。それによって、観客の想像を促します。 
例えば、グラスをとるのに、こう普通にグラスを取ろうとして、ちょっとその取る動作をやめるじゃないですか。すると、見ている人は『え、なにがあるの??』と思いますよね。想像しますよね。これを舞台上でもやります。 
それと、余白を照明でもつくります。光というものは、古来が持つ余白です。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』が僕のバイブルなんですけど、昔の家屋は太陽光だけで生活していて、ちょっと陰影があります。それを舞台上でもやります。 
 全体的に僕は日本の美意識が好きです。
日本の美が今に必要かって言われたらわからないです。けれど、僕が芸術の中で余白の美をつくっていましたが、時代全体が今余白を求めていると思います。アート以外でも余白が欲しい人は欲しい。情報過多ですからね。 
 
Q:情報過多によって、働き方や消費の仕方も変わってきていますね。 
 
N:そういう意味では、僕の働き方も今年に入って、変わってきました。 今までは、経費も資金も十二分にないのもありますが、セルフプロデュースで全てをやって、全部自分でやっていました。企画書から経理から、デザインから何もかも。 それを数年やって、アーティストの時間があまりにもないのに気づき、最近やっと手放せるようになってきました。 
全部心配だから自分でやってたけど、こんなことやってたらキリがない。 

資金作り、集客、経理、動画編集、資料作成などもやっていて、ビジネスマン要素が強いのも僕の売りでしたが、アーティストとしての時間を作る方向にシフトしています。 

 内観をして、もう少しゆとりのある豊かな時間を多くしたい。そうしないと作品も作れない。 僕は怠け者なので、ゴロゴロしてるのも好きなんですけど、自分のためになるべく時間を有効活用します。内側を成長するために時間、経験として、見る食べる聞くが大事だなと思います。 
 
Q:20代前半から現在に至るまで、全て自分でやっていたのですね。 
 
N:そうですね。でも今まで、自分の企画でも運営しているDEVIATE.COでも自分の財布から1円もだしたことなく、やってこれたんです。 
けど、だからこそ、石井則仁だからできるから大丈夫でしょ、とみんな手を出さなかった。僕も助けてくれない?とも言わなかった。 それは、自分にとっても人を育てるにも良くないなと思いましたね。 
それに資金についての考え方も変わりました。 多くの人が未来を心配しすぎて投資をしないですが、僕自身も自分の財布から1円も出したことがなかったのが、先行投資として未来に時間を割くようにし、お金をかけるようになりました。それも感覚で決めれるようになりました。 ダメだったらダメでいーやという態度で、自分にも周りにも寛容になれましたね。 
もちろん今まで活動してきた経験があったからこそ、自分と未来についての絶対的な自信も蓄積し、できるようになったこととも言えますが。 
 
Q : 一緒に仕事をする人もそのように決めるのですか? 
 
N:そうですね。仕事をするっていうのは、その人と仕事をしてときめくか、自分が学びになるか、お金じゃない利益になるか、です。お金だけを求めて仕事をしても楽しくないです。感覚が合わなければ、どんなに年上の大先輩でもだめです。 
少し話はずれますけど、僕はお客さんは神様という考えは糞食らえだと思います。笑  
お客様も人間だったら、働いている自分も人間。ホスピタリティがなくても生きていけるし、失礼しなければいいだけだと思いますが、日本は特に失礼の基準が高いですよね。あれもこれも笑顔で迎えなければ失礼とか。最近はやっと国が日本のサービスの過剰や残業、仕事の仕方を促し始めたと思います。 
 
Q : 捨てるのが、もったいないと思う事はないんですか? 
 
N:迷う事はありますが、ここまでやってきたから自分を信じて、何事も一回捨ててみるということにしてます。

捨てても、ついてくるものはついてくるし、今までやってきたという絶対的な自信があるから、捨てても自分を信じて貫く通す、やり続けるしかないですね。 

 
Q : 最後に…誰もが自分の働き方や生き方を模索していると思いますが、何かしら小さな変化でもおこしたい人にどのようなアドバイスをしますか? 
 
N:日本人は本当に環境によって洗脳される国民です。 
例えば、現在の普通がどうやって生まれているか。日本人の多くが右利きだけど、社会がそうしてきました。僕も箸だけ今も左利きですが、幼少期に右利きになるよう治されました。 
前回僕が発達障害の子供の身体育成の会社で働いていたといいましたが、発達障害の子どもは、認識が全く違うのです。今までの日本の教育の仕方だと全くもってだめで、アフリカの子供たちに日本語で教えているようなものだと思います。発達障害のこどもだけでなく、僕らも同じで、純日本のこどもでも伝わらないことは伝わらない。 
赤ちゃんが自分の名前を認識していない時に、お母さんがずっと右側から呼んだら、右に向くのが当たり前です。ここから人間の骨格と筋力が変わってきて、クセがつく。右に向くのは当たり前になります。それを意識化する、身体を意識化すること。 
こうゆう『普通』を考え直すことが必要だと思います。国の政策として人がつくられていることを認識した上で、自分の人生や仕事を考えなおすことができます。 
セルフレジなんかも増えて、本来人間がわざわざ時間を割かなくてもいいような仕事がどんどん減っていっているのですから、みんな好きなように仕事をすべきですね。 個人が持つ本来のクリエイティビティを発揮してほしいです。 
僕の職業であるアーティストなんかは、新しい価値観を与えることだと思っています。となるとアーティストは常識的、普通と言われていることからやらない。当たり前を壊していくのが仕事です。 なので、僕は自分から疑っていくことをガンガンやってます。 
普通だよねって言われていることをちょっと考え直すと、かなり変わります。ネットで検索するのではなく、自分の頭で考える、聞く、行く、経験する。 これも余白を自ら作らないと、できないですからね。 
小さな夢から大きな夢まで扉を開くのは本人しかないです。開きたいけど、ドアノブカチャカチャやり続けている人が多いんじゃないかと思いますが、それは決断するしかないですね。 
働き場所や活動する場所が合わなければ、釣竿たらす場所ずれてるんだと思います。釣れない釣れない、自分には価値がないのかなと思うけど、本領発揮できるところを間違えているだけ。 
選ぶ場所、行くべき場所、いるべき場所がわからなければ、まず勇気をだして捨ててみる。捨てるものがわからなければ、とりあえず捨てなくてもいいです。捨てるべき時や決断するべき時は必ずきます。 ——————————————————-end 
 
全3回に分けて、最初のインタビューをお送りしてきました!! 
舞踏からビジネス、これからの活動の仕方など濃くお伝えできたのではないかと思います。ぜひ1度パフォーマンス作品自体を見に行ってみてくださいね。 

ちなみに石井則仁は舞踏家・アーティストでありながら、かなりのトークイベント好きでおしゃべりです。笑  アート、ダンス、舞踏、アートビジネス、生活、お題は何でもトークイベントのご依頼を受け付けております!

 
interview & edit by Chikaru Yoshioka
 


 Interview vol.2 『セルフブランディング編』

 
vo.l.2は以前の続きのインタビューからお送りします。 石井則仁、セルフブランディング編です。
 
ー(前回より)僕が所属している舞踏カンパニーの天児 牛大(山海塾)さんに、ビジネス本とか読むんですか?と聞いたことがあったんです。そしたら、そんなの読んだことない、

売れる為のノウハウじゃなく持っている疑問を作品にぶつけるんだ、と言われました。 それを聞いて、自分は師匠の時代とも違うし、こうはなれないから勉強し学び、ビジネスとして成立させてやろうと思いました。

 
Q:石井さんは、山海塾の活動の他に、自身で運営しているダンスプロデュースカンパニーDEVIATE.COの企画や出演、ソロ活動でも様々な写真家やアーティストの企画にでていますね。
 
N:ダンサーとして個人事業になってから、様々な企画を打ち出しましたし営業をかけました。そのためにビジネス本もたくさん読みました。本に書かれてることだけをやってもしょうがないので、自分の人生に置き換えて試行錯誤の日々でした。
 
Q:ビジネス本をたくさん読まれているのですね、意外です。
 
N:そうですね、僕は1年のほとんどは国内の地方公演や海外公演で飛び回っています。いろいろな人に会うけどダンサーというのはどうしても、ビジネスとして視野が狭いと感じます。
日本は特に海外よりも食っていけない上に、情熱だけでも食っていけない。その状況に慣れすぎて、受け身の人が多いように感じます。なので、ダンスという分野でビジネスの話ができる人がほとんどいないですね。だからかたくさんビジネス本を読みましたね。
助成金を申請する以外に、ダンスや舞台芸術の中でどうやったら企画をたててそれをお金にし、ビジネスとして成立するか、次に繋げるかを考えています。

それに観客の心に何が残るか、何を持って帰ってくれるかということが大切だと思います。でないと、アートがビジネスとしてロールしていきません。

 
Q:日本の社会でアートをビジネスとして他の商品と同じようにロールさせていくのは課題ですね。
 
N:ビジネスのことはまだまだ語れるに値しませんが、そういった中で人に面白いと思ってもらいそうなこと・企画・仕組みを考えて、お金をロールしていくやり方を試行錯誤しています。
例えば、去年初めてインスタレーション作品の展示をしたんです。
昼間はインスタレーションをして、夜はパフォーマンスを1週間したのですが、僕は毎日毎秒同じ振りをして、音楽家は毎日違う方とやりました。僕の振りは全く同じなのに、音楽家が違うことで全く別の世界観が毎晩観れる。
そういったことで毎晩リピーターがつくれてビジネスとしてもお金がロールでき、アートとしても観客の皆さんに新たな発見と創造を促すことでできました。
(このインスタレーション作品は今年もやるそうです!7/1-7/8『がらんどうの庭』長野県松本市)
そういった行動を繰り返し、自分の知覚を信じてやっていくしかないと思っています。ダンスと社会においては、みんな自分の考えと活動に臆病になりすぎていると思うので、企画や制作に忙殺されてストレスの日々ももちろんありますが、つねに中指をたててやってきましたね。
 
Q:そういった実践と試行錯誤の日々で、オリジナリティ、そして石井則仁がつくられていくのでしょうか?
 

N:オリジナリティはコピーからしか生まれないと思います。

コンテンポラリーダンスはオリジナリティオリジナリティと優先しがちですが、まずは伝統芸能のように師匠をもって学ぶことをしたほうがいいと思います。コピーからしかオリジナリティは生まれない。
自分とはなんぞやは3段飛びぐらいの話で、まずは尊敬する人自身になれるように努めることからだと思っています。
自分が求める理想、尊敬する人でもなんでもいい。まずはその人の完全コピーをできるかどうか。それにも技術と感性が必要です。でも絶対なれないから違いがわかる。 オリジナルを求めるのは、その次の段階の話です。自分のオリジナルはオリジナルからは決して生まれない。
そしてオリジナルというものを求めるのは、内観をしなきゃいけません。内観をするということは外が無くして内はないんです、比較するものがありませんから。外があって内があるので表裏一体、つまり内観するために外(尊敬する人など)をみるとうことは必要不可欠です。
 
Q:石井さんが所属する山海塾もそうなんですね。
 
N:伝統芸能、舞踏もしかり、山海塾もそうですね。みんな男性ですが、骨格から筋力から年齢から違います。けれど、振り付けはみんな同じ角度や形、勿論持つイメージまで一緒にします。
例えば、山海塾に『星指し』という型があります。(遠くの星を人差し指で差しているような型)ーこれは、身長はみんな違うのに、ミリ単位で型を合わせなきゃいけません。ぴーんとテンションを貼ると、指が剃ります。けれど、型の目的にそってぜんぶ合わせます。
僕が思うに、オリジナルというのは並々水が注ぎ込まれて、グラスから溢れたものがオリジナルでアイデンティティ。

踊りというものを通して、言われたものを完璧にこなして、ほのかに香ってきたものが石井則仁。

石井則仁ってこうだからって合わせたことも過去にありますが、実際は内観するとそうじゃないし、だからといって自分のオリジナルがどうってのはまだまだ作ってる段階です。トライアンドエラーを繰り返して繰り返して、生涯していくことだと思っています。
生涯二番煎じはもちろん嫌だけど、自分が尊敬できる人の完全コピーができるほどの技術もほしい。けれど尊敬する人に行き着いてもしょうがない。

いいと思った物は持ち続け、不必要になった技術やテクニック、感性は捨てていく。例え、ここまでやってきたからなと思う物でももう一回捨ててみる。持ちたければ、また持てばいい。その繰り返しだと思います。

だから、トライアンドエラーの繰り返し。
 
次号『断捨離・余白』編につづく…
 
interview & edit by Chikaru Yoshioka
 


Interview vol.1

vol.1からは、今年行われたトークイベントから抜粋した石井則仁の芸術、踊り、自分や人生についての語りを数回に分けて連載していきます。
まずは、ダンスとの出逢いからインタビュー形式でお伝えします。
 
ーいつかやるとも言い切らないし、言い切れない。思い込みを信じてやるしかない。ー

Q:ダンスに出会ったのはいつですか?

N:中学2年生の時に、TRFのサムがやっている夜中のダンス番組を見た時にストリートダンスをやろうと思ったのがきっかけです。
今はこんなキャラだけど、子供時代の僕はひょうきんな反面、暗く、人間不信でした。 先輩が暴走族の頭というようなヤンキー地域に実家があったのもあり、地域環境も良くない。 こんな地域で大人になっても夢も希望もないだろという子供だったから、ストレスもたまっていました。
そんな環境の中での出会いだったので、その番組を見つけたときはこれをやる!!と決めました。
そして高校2年生のときには、仲間ができ路上などでストリートダンスを踊り始めました。

Q:ストリートダンスからの舞踏だったのですね。

N:20歳すぎて、舞台芸術の世界に足を踏み入れ、コンテンポラリーダンスに出会い、舞踏に行き着きました。
僕は10代の時に剣道を10年間やってたのもあって、腰を落としてすり足をすることのほうが自分に合っていました。バレエもやったことはあるけど、身体的に合わない。舞踏をやって初めて、すり足が自分にしっくりくることに気づました。

Q:最初からプロのダンサー・舞踏家になるつもりだったんですか?。

N:他の仕事をやろうと思った事はなかったけど、最初はダンスを仕事にする気はなかったです。 プロになると思いながらも趣味の延長でしたし、好きこそもののいうなれどで結果こうなりましたね。
けれど選択肢はつねにあると思っていて、カフェを開いてアートの本を読みながら~と考える時もあります。けれど、今踊れるんだから今踊るしかないと思ってます。別の仕事しようと思ってもできるけど、他に情熱を注げない。だから踊るしかない。

Q:プロのダンサーになる決意をするという瞬間はありましたか?

N:ちゃんとダンスだけで食えるようになるまでは、コンビニのアルバイト定員や運動療育士の社員もやっていました。その運動療育士の時に酒の場で社長と喧嘩をして、突然首になりました。もう明日から来るなと言われ、絶対いかねえと啖呵を切った。 それで次の日起きてみると、仕事がなくなったという状態です。 そのとき1年踊りだけで食ってみようと決めました。

こういう決める瞬間が来る時に、それに気づかない人もいるし、来ても流す人もいる。そこに気づき、やるかやらないかだと僕は思います。


Q:セルフブランディングやマーケティングをご自身で今までやってきてますよね。

N:DEVIATE.COというダンス企画&育成カンパニーも運営していますが、企画を1年に何回も打てない上に、大きい企画は1年に1回ぐらいしかできない。生活できるほど利益を上げることも難しい。セルフブランディングとマーケティングを試行錯誤でやるしかないと思いました。

僕が所属している舞踏カンパニーのボスの天児 牛大(山海塾)さんに、ビジネス本とか読むんですか?と聞いたことがあったんです。そしたら、そんなの読んだことないと言われました。 それを聞いて、自分はブランディングを勉強しようと、この人には勝てないなと。自分はこうはなれないから、勉強しようと思いました。

 
セルフブランディング編に続く…
 
interview & edit by Chikaru Yoshioka